蛍袋の花
蛍袋、その形から名付けられたのだろうか。
この花の中に蛍を閉じ込めたら、どんな幻想的な光を放つことだろう。
鶴太郎さんの展覧会を見ての帰り、デパートから駅へ向かう近道の路地を久し振りに通った。
繁華街のど真ん中の路地、小さな飲み屋がひしめき合っていたところ。
飲み屋街の昼間の独特の物悲しさはどこでも同じだろうが、
とりわけこの路地裏は廃業した店も多いらしく、何ともうら寂しい様子。
その空き地に小さなお花畑。
たしか以前はここにもお店があったはずだが、取り壊して空き地になったらしい。
花畑の蛍袋の花を見ている年配の女性、
「写真撮らしてもらっていいですか。」と思わず声を掛けていた。
◇ 蛍袋の花の向こうに居りしかな ◇
「朝顔苗を植えていて、一休みしていたところや。」
一緒にいた友達が「私も朝顔を植えたい、植えたいと思ってるんやけど。」
「苗ならなんぼでもあるで、上げるから持って帰ったらええ。」と、
今植えたばかりの苗を惜しげもなく抜いて、その袋を彼女に持たせてくれた。
恐縮するやら、喜ぶやら。
◇ 声掛けて朝顔苗を頂きぬ ◇
薄暑(はくしょ)
薄暑とは、初夏の暑さを言う。
友達に誘われて、片岡鶴太郎さんの展覧会を見に久し振りにデパートへ。
最新作の展覧会らしい。
初めて鶴太郎さんの絵を見たときは、その奔放な色使いに魅せられたものだが、
今回の展覧会は、優しくまろやかな色や形と、作風が少しずつ変化しているのを感じた。
絵だけでなく、陶芸や着物の絵付等さまざまな作品が展示されていて、多才振りを発揮していた。
作品は撮影禁止のため残念ながらアップできないけど。
展覧会場を出ると、丁度鶴太郎さんのサイン会があるとかで、物凄い人混み。
チビの私が後ろのほうから背伸びしたぐらいでは、こんな写真しか撮れなかった。
◇ サイン会を待っている間の薄暑かな ◇
楓の花
遠くから見る楓の葉先が、まるで紅葉し始めたように色づいている。
ほら、こんなに紅色に。
楓の花が咲いているのだ。
いや花というよりは、もうすっかり実になっているようだ。
今はまだ柔らかい羽のような実だが、
秋になると風に乗ってこの羽をくるくる回しながら飛び立って行くという。
◇ たより来る花楓はや実となりて ◇
花虻
牡丹の花はもうとっくに終わってしまったが、
ご近所に一群れの芍薬がまだ花を咲かせているところがある。
近づいてみると、真っ白の花の中で黒いものがもぞもぞ。
花虻が花に潜り込もうと、足をばたばたさせている。
なんだかその必死の様子が面白くて・・・
◇ 花虻の足ばたつかせ潜(もぐ)りけり ◇
藤の花
随分のご無沙汰でした。
ずっとお休みしてるうちに桜、牡丹、躑躅と季節は過ぎて、今はもう緑、緑。
花房が長くて有名なこの藤の花も、もう終わってしまったけど・・・
去年は見に行けなかったこの藤の咲き具合、今年も薄紫の花房が揺れていた。
孔雀藤と呼ばれる神社の藤、樹齢も相当の物らしい。
地元のお年寄りは、自分が子供のころは地を擦る花房を分けて遊んだものだ、
すっかり花房が短くなってしまったと嘆くけれど、でも今も長い房を揺らす見事な藤だ。
◇ 藤房の奥へ奥へと風伝ふ ◇
枯萱(かれかや)
久し振りに日が射して、今日は少し暖かい。
散歩がてら、ちょっと寄り道して買い物へ。
溜め池の土手周りを歩いていると、
あれ、何かを作ってる人が・・・
「何してるんですか」と声を掛けると、「風除けや」。
私も一緒にしゃがみこんでお喋りを。
苗床の風除けにするために萱束を作っているところだという。
「もう少ししたら花苗作るんや、そのとき要るんや」と。
花苗は、近くの道沿いにボランティアで植えるんだとか。
話してる間もせっせと手を動かして萱束作りに余念がない。
「写真写してもいい?」 「ええけど、写真やったらうちの犬も写してな」
◇ 枯萱刈る畑の風除け作りとて ◇
というわけで、ハンサムなワンちゃんを
とても人懐こいワンちゃんでした
雪
ここニ、三日は寒さに震え上がっている。
あまり雪に縁のない当地にも、昨日うっすらと雪が積もった。
障子の外が何かいつもと違う明るさに
開けて見ると、おお!雪だ!! 雪が積もってる!!
雪と言えばもう珍しくて、<庭駆け回る>部類の私、
急いで、写真機、写真機と。
そして懐かしい人からの便りもありました。
◇ うっすらと雪積みし日の便りかな ◇
畑には全面うっすら
車の屋根にも
午前中にもう解けてしまいました。
鴨の陣 浮き寝鳥
あちこちの池に鴨が沢山やってきている。
鴨の大群が見事に並んで泳いでいる様を、
俳句では、兵が陣を敷いているのに見立てて鴨の陣と呼ぶ。
その陣構えの様子を写真に撮りたくて
抜き足差し足忍び足で近寄ってみるのだが・・・
◇ 忍び寄れどたちまち崩る鴨の陣 ◇
撮影失敗の巻
こちらは別の池で浮かんでいた鴨たち。
首を羽に突っ込んで身じろぎもせずに
波に揺られるまま浮かんでいる鴨もよく見かける。
こんな姿の水鳥を<浮き寝鳥>と呼ぶ。
◇ 浮き寝鳥中の一羽の動き初む ◇
歌会始
テレビ中継で歌会始の様子を見た。
今年のお題は「生」であったとのこと。
長く語尾を延ばす独特の節回しで、当選歌が次々と披露されていく。
その響きが、何かに似てるような・・・
あっ、モンゴルの<ホーミー>!!そんなことを思いながら聞いていると、
栗原貞子さんのあの原爆の詩の一節が浮かんできた。
「・・・・・・生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨つとも」
というわけで今日は俳句ではなくて和歌。
歌会始のお題「生」にちなんで
◇ 生ましめんかな
一つの命生ましめて
六十余年前に逝きたり ◇
写真は以前、原爆忌のときに使った池の波紋を加工して使いました。
松過ぎ
松飾りも取れて、今年ももう一週間余が過ぎた。
季語でこの一週間をたどると、
<元日> <初日の出>を拝み、<初詣>に行き、<お雑煮>を食べ、エトセトラ、エトセトラ・・・
二日は<初荷> <売り初め> <稽古始>、 そして<三日はや>となり、
四日は<御用始>で官庁などが始動、尤も今年は日曜日だったので五日。
<松の内>は元日から七日までで、<七草粥>をいただき、
八日はもう<松納め> <飾り納め>。
今日は飾りも取れた<松過ぎ>である。
< 松過の又も光陰矢の如く > は虚子の句。
久し振りに筆を使った。
ゆっくりと墨を磨り、その匂いを懐かしむ。
書き終えて硯を洗う、その墨の流れる様を見ていると
もう松過ぎだなあと・・・
◇ 松過の墨うすうすと流しけり ◇